moyo : : diary

気持ちフォト士

路地


美しい路地でした。ここはローマですが、このような路地は日本から消えます。もう再開発の終わった都心では
存在しません。災害時の避難、衛生上の問題、防犯上の問題などが、このような景観の存在
を許さなくなってきました。しかし、本当の理由は、このような景観を美意識として理解できない人が
多くなったことです。この写真の暗い路地に赤と黄色のフラグを掛けて、しかもちょうど夕刻に光が差すことが
わかっていて、そのフラグが光を受けて逆光で美しく輝くという計算をした人は、この路地に愛着を持ち、
それを美しいと感じた人と同じ美意識を持ち合わせているはず。そして、
フラグを掛けなくても、この路地の空気、心地よさがわかっていなければこのような演出はされません。
このような町並みを歩き、地元の日本の町並みを眺めるとき、目まいがしませんか?
この路地の風景から話を100倍ほど拡大すると、文化財などに落書きする人、道路に
ゴミをほかす人、きれいな自然環境を簡単に壊す人、歴史的なものの考え方に何も感じない人、なによりも、
薬師寺の平山郁夫画伯の絵にはバーミヤン石窟が描かれていますが、すでに破壊されてしま
いました。私が子供の頃住み、目の前にあった小山の森は私が中学生の頃、平らにならされ
密集した住宅地に変貌しました。中国でも文化大革命の時期、貴重な文化財が多量に破壊
されたと言います。全く理解で出来ていません。貴重なものの価値が。
そのような人がどれほどたくさんいるのでしょう?
人の心の世界や神々の世界を理解できない人が日本でも、行政、立法、司法に携わっている
と思います。本来、日本は神の国であったと思います。今や神は住む場所を失い蒸発して
しまったようでもあります。
そのような人が日本においても指導的立場(政治家や官僚)どれ程心の景観を台無しにし続けていることか。
路地の写真から話を100倍ほど拡大しましが、機会が有れば失われようとする日本の路地も写真に納めたいところです。