昨日は唐招提寺へ行ってまいりました。
散歩がてら、歩いて南大門前はよく通るのですが入ることはありません。何十年ぶりです。
鑑真和上御廟へは初めて行ったと思います。
日本最古の校倉造である経蔵は過去来た記憶が有りました。
金堂の平成修理時の模型が有りました。木造トラスが組み込まれた大屋根の断面模型が図面と共に有りましたが、図面と模型がちょっと食い違っており実際はどのように修復されたのかわかりませんが、模型の方には斜材が入っており、こちらが正解ではと思いました。
明治時代に修理されたときは、屋根が広がってしまうのを防ぐため、東大寺大仏殿と同じく当時の最強マテリアルである鉄が用いられました。
しかし、驚くのは屋根そのものです。創建当時はもっと緩勾配で低かったのが、江戸時代初期の修理で急勾配となり棟高が高くなったそうです。
外観が大幅に変わった模様。
そういえば、隣の薬師寺三重塔の屋根は東塔と再建された西塔では大幅に違います。
西塔は創建当初のレベルと勾配を再現したそうです。
京都の東寺も江戸時代に再建されたようですが、国内最大高さである五重塔の屋根勾配は想像を絶する急勾配です。
大規模修理はその当時の最新知見やマテリアルを導入すると思われますが、当時の急勾配屋根はそのような意味が有ったのではないでしょうか。