moyo : : diary

気持ちフォト士

友人が撮った写真

comesta2006-06-03

私の耳は貝の殻

海の響きをなつかしむ

「1920年カンヌ」

ちょうど今、カンヌ映画祭が終わったところですが、この詩の通りカンヌは美しい港町とのことです。(私は行ったことは有りません)
この何ともすばらしい詩の作者が実はおかまと知ってぎょうざめしましたが、詩の内容は実によく共感できるのに、共感できない部分が
共感できる部分を理論的に自分とは別種の人間という区分けをし、共感が失われたという感じです。
ストラビンスキーやサティ、シャネル、ドビュッシー、・・・コクトーが生きていたこの時代のパリというのはまさに芸術の表舞台。
コクトーの周りには書ききれないほどの有名な芸術家がいました。信じられないほどエキサイティングな場所と時代。本当に芸術の都
であったと皆が思った事だと思います。ロシアやスペイン、(日本も)などフランス以外からもパリに集まって来ても、結局みんな
フランス人になってしまう。コクトーはピカソやストラビンスキーなど師と仰いだこの人たちをフランス人以外には思えないのだと言ってます。
遠い現代から眺めるこの時代のこの場所は、失われたエネルギーの残光が微かに残るといった感じで、当時の雰囲気はもはや想像の世界のみです。

ところでジャン・マレージャン・コクトーはその道の関係者ということです。ということはジャン・マレーもおかまということになります。
この写真はもちろん私が撮ったものではなく、今は私とは音信不通の友人の作品です。一応連絡は試みましたが、すでに連絡先が不明です。
昔にインターネットに出してくれと、この友人の方から写真をもってきたので許可済みではあります。プロカメラマンを志し、渡仏し、
多数のすばらしい写真をものにすることが出来たのだと言います。特にジャン・マレーの私邸に赴き家の鍵の隠し場所(周知の隠し場所と
もいえますが)まで撮影したのはたいしたものです。
ちょうど親子ほど年齢の差がありましたが、その友人は画家でもありました。今思うと
ジャン・コクトーにかなり影響を受けていたように思われます。ジャン・マレーに会い、フランソワーズ・モレシャン(目茶懐)と
アルレッティの写真、枯葉のグレコの写真など、かろうじて当時のパリを体験したその人から聞いたパリの話は、私がパリへ旅行した後
で聞いたもので、順序が逆であればもうちょっと違った目で観光できたかも知れません。