moyo : : diary

気持ちフォト士

映画が見れない

永遠の0は読んだことがあるかもしれない。
人から聞く映画の内容は何故か既知感が有って再び読んでみたら本当に昔読んでいました。読み出すと最後の最後でえらく時間がかかってしまって今日、帰りの電車で読了。
そんなに昔でもないけど当時、零戦ものにハマって何冊かの本を読みました。
ひとつは坂井三郎大空のサムライ撃墜王も読んだ。これらは零戦パイロットの実際の綿密な記録だから凄くリアルで面白い。
堀越二郎零戦ーその誕生と栄光の記録も読んでいました。栄光の記録っていうぐらいだから自尊心と自己主張みたいな本かと思えばそうではなくて、しかし、戦後25年に本人によって書かれたその本は、当時から現在に至るまでよく言われるモノ造り日本の「欧米のコピーを上手に作る」というステレオタイプな言われ様を否定する。

零戦を介しての誇りと、零戦こそが日本人のものづくりの象徴である。と堀越二郎は言っているようにも思います。それほど素晴らしい飛行機であったのだ。
すなわち、単なるコピーでは成し得ない、また、直感や閃きだけでもこういうものは作ることが出来ない。培った技術の蓄積とそれに裏付けられる独創的アイディアが無ければ成し得ない。要求されるスペックにとんでもないことだと言いながらも、それを超える性能を生み出す技術は大変な試行錯誤の積み重ねが有る。空軍(海軍?)技官のフラッターエコーに関する専門知識に尊敬し従う素直な姿も大事な部分でしょう。 これはしかし、零戦には限らないもの作りに携わる人へ向けた著書でした。

永遠の0零戦のある部分を否定する。すなわち、飛行機能主体の機械としての究極の姿を求めているが、ヒューマンインタフェースを忘れていると。しかし、堀越二郎はあらゆるものを削ぎ落としたからこそ小さい馬力のエンジンでここまでの性能を引き出すことが出来た。そうでなければ逆に戦闘機としては呑鳥な撃ち落とされる危険な飛行機となってしまう。また操縦系に関しては人間の感覚を重視し新たな考え方を導入し決して無視しているわけではない。私は飛行機ではないけど自転車で言うとロードレーサーが好きなので、感覚的にはわかります。足パッドや腕パッド等嵌めてなど乗れない。頑丈すぎるフレームは乗り手を逆に疲れさせる。軽さ、細さこそが身上。おそらく軍からの要望ではなくて、堀越二郎の考え方から、ほとんど防御無き究極の機体が生まれたのでは無いでしょうか。そんな事もちらっと書かれています。
堀越二郎永遠の0を読んだとしたらどのような感想を持つでしょうか。
また、仮に永遠の0の主人公が存在したとして、主人公は馬力と速度で勝る重たいP51マスタング零戦が選択できたらどちらを選んだでしょうか。

ところで、ジブリ風立ちぬは見てません。タバコを吸う吸わないで話題になっていましたが、モデルが実在であった堀越二郎なのであれば、正確さを求めるべきだと思っていました。でなければモデルでは無いと明確にする必要があると思います。実在の人物を関係無いフィクションの主人公と重ねることや、知られている部分を違うように創作して書くと、その人物像が別人になってしまう。たとえこれが単なる安物エンタテイメントでも最低限課せられる義務だと思います。